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追憶 おいしさと新鮮をネットワークする

追憶
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追憶 みるみる、とりこ。

休日出勤と相成ったダッダは
朝5時起きで

なぜか掃除機を
掛けていた(謎

どうやらインスタントコーヒーを 
ぶちまけた模様。

そして、ガレージに入ると
パソコンの
マザー・ボックスが
オーーープン!
どうやらマザー・ボックスに
コーヒーをぶちまけたらしい。

とてつもなくテンパッタのであろう
ダッダはなぜか私の車で
出勤して行った。

嵐の中、
車もなくPCも使用不可能。
その上、あらゆる配線を
抜きまくったのか
電話も不通と来たもんだ。

正しく、
陸の孤島に放置された
土曜日だった・・・
◎折り紙教室◎

毎年「子供の日」が近づくと
隣町の小さな幼稚園に召集される。

園児達それぞれの名前を
日本語で書けるよう
教えてあげて欲しい
という申し出である。

だがしかし――

~去年の追憶~

先生が怖い(怯
更に――
反応、薄っ
てか、突然日本語で
名前を書けと言われても
困るよな(涙
だがしかし
そんな時は秘密道具の登場だ。

と、剣玉・だるま落としも
ことごとく没収(涙
今回で3回目となる幼稚園訪問。

昔の失敗は犯してはなるまいと
折り紙各種と園児冊子を携え
いざ出陣。
すると――
今回の先生は
予想外にフレンドリー!
私には姉しかおらず
「端午の節句」については
無知の中の無知である。

「こいのぼり」の説明もおぼつかず
雑誌に頼ろうとするも
なかなか見付からない。

すると、
フレンドリー・ティーチャー
何をトチ狂ったのか――
嘘を吹聴!?

そのイメージ
ガッツリ西洋風(涙

★もうひとつの折り紙教室★

今年は、
「モモ・ハナ」の通う幼稚園でも
折り紙教室を開いた。
だが――
そこから 
見えねぇだろ!?
何か色々と
トラウマになりそうだ・・・

追憶で可愛く

2016年11月10日。大腸癌。多発性肝転移。肺転移。ステージ4。
完治は望めず、延命治療しかない。そう告げられた診察室を出た。
どんな診察でも検査でも最後は会計で終わる。妻と会計が出来るのを待つ待合室のソファ。どんな会話をしただろうか。無言で見つめ合っていた記憶しかない。かけられる言葉は多くなかったはずだ。
今日は家に帰るしかない。焦ってもしょうがないけど気持ちは焦る。
会計待ちの時、盛岡の私の実家に連絡した。本当は家で帰りを待つ彼女の両親に先に報告するのが順序だったかもしれない。
いても経ってもいられなかった。誰かに今の不安を吐き出したかった。癌が見つかった事。既に遠くまで進行している事。人生最悪の瞬間であった事を告げた。電話越しの父も泣き崩れていた。
明日東京に来てくれるという。ありがたかった。
会計が終わり帰路に着いた。家で帰りを待つ彼女の両親に報告しなければならない。憂鬱の極み。でも逃げられない。
家に着いた。重苦しい雰囲気は隠しきれなかった。正直に言うしかない。全てを伝えた。
もうどのように報告してどんな反応だったか覚えてない。泣いていたのか、会話のやり取りがあったのかも覚えてない。身体が重く腕に力が入らなかったのは鮮明に覚えている。
そして妻が義妹に連絡をした。話し出した途端に妻は号泣し始めた。今まで気丈に乱れずに振舞っていたけれど、この時に何かが外れたのだろう。
妻はしきりに義妹に言っていた。何かあった時は子供達をよろしくお願いします。と。1つだけ下の妹。
妻はわずかな時間で死を現実的に捉え、自分はもう子供達を育てられらない未来を覚悟していたのだろう。
そして託せるのは妹しかいないと。
私にはこの時、子供を育てるためには母親という存在は絶対的に必要だと思っていた。妻もそう思っていたんだろう。
妻を死なせる訳にはいかない。
自分だけでは育てられない。仕事ばかりの人生だったから。その後、育児休職を取得し、育児に対する自信が付いてから考え方は変わったが。
とにかく人生最悪の日はこのようにして終わった。
そして次の日から全力で走る日々が続く。。

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