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ニートの19歳女の子に追憶の話をしたら泣かれた

追憶
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追憶 僕らは元気をたくわえる

2017年3月1日。
私が育児休業を開始した日。この日に妻のCT検査が行われました。
このCT検査は、癌が発覚した2016年11月以来、始めて行われたものになります。
つまり。この3ヶ月間の努力。
2016年12月から。手の痺れ。吐き気。倦怠感。幻聴。。必死の思いで耐えて続けてきた抗がん剤治療と。
ご飯もダメ。肉もダメ。パンも麺も砂糖も塩も。。
吐き気を我慢しながら飲み続けてきた大量の野菜ジュース。。
何もかもを我慢してきた食事療法の成果が明らかになる日でした。

この時の心境は、
これだけ頑張ったんだから絶対小さくなってる!腫瘍マーカーの値も右肩下がりだったから効果は抜群だ!
という思いばかりで。期待が膨らんでいました。

今日から休職が取れたため、妻と共にかかりつけの病院へ。
こんな時に妻の側にいれるのはありがたい。ありがとう!育児休職!

CT検査を待っている時はだいぶ冷静でいられた。
告知を受けた時と同じ椅子に座って待っていたので。
あの時の吐きそうな不安感がフラッシュバックでよみがえるかと思ったけど。
今までの努力はきっと実るはず。そんな根拠のない自信が不安を和らげていた。

嫁さんにはいつも
「根拠のない理由をつけて、病気から目をそらすな。」
なんて偉そうなこと言ってたな。。
ゴメン。。
そりゃ現実逃避したくなるよね。必要な考え方だったよね。
検査が終わった。結果待ちの時に嫁さんが、
「検査中に先生が言ってたよ!小さくなってるって!」
えっ本当に!
「いやまだ分からないよ。」
心の中では、嬉しくて胸が踊っていた。
でも心を落ち着けた。この病気と長く闘っていくと決意した時、何があっても一喜一憂しないと決めていたから。

先生に呼ばれ検査結果を聞く。

「ほらっ見て下さい。何となく小さくなってるでしょう?」
久しぶりに見る妻の肝臓の画像。
何となく??

そこに見えているのはダルメシアン状に散らばる無数の黒い影たち。誰が見ても正常ではないと分かる絵だ。。

前回の画像と並べて見せてくれた。比較してよく見ると確かに何となく小さくなっているような。。
前回が100だとしたら今回は90くらい。

診察室の空気は終始、
小さくなって良かったね!!
な雰囲気。
嫁さんも何だか機嫌が良い。

てことは。肝臓の状態が良くなったのなら。あの件を聞いてみた。
「先生。ラジオ波焼灼療法に行けそうですか?」.
「いやー。まだそんな段階ではないですね。」
やはりそうか。

この日は検査結果を聞いて帰った。効果があったと見なされ、今の抗がん剤も継続する。
気になる嫁さんの機嫌はまあまあ。
妻が元気ならそれで良し!癌も小さくなった!

でも何だか。心が晴れない。なぜか違和感が残る。
私だけだろうか。。

その違和感の原因は。
翌日の彼女の涙で明らかになりました。

追憶 はキッズでキマリっ!

2016年11月14日
J大学医院を受診。即日入院となった。
病室に入る前に様々な検査をした。
検査の一つに胸部レントゲンがあった。前から気になっていたのが、左胸に存在していたシコリ。2センチくらい。コロコロと転がって痛みはない。
何しろ生後3カ月の赤ちゃんがいる。授乳期であるが、しばらくオッパイをあげてなかったせいか、乳腺のつまりみたいなもの?と思っていた。
レントゲン検査の結果形も綺麗な丸だし、良性の嚢胞ではないかとの事だった。シコリも放っておけばいずれ消えるでしょうと。
さすがにこの時は疑わなかった。
大腸がんからの乳転移はまずあり得ないケース、という事はネットでの調べでも分かっていたし、重複癌なんて尚更そんな不運は重なるはずがないと思った。
現にこの数ヶ月後に、シコリが小さくならないのを気にして2回ほどマンモグラフィーを受けるが、いずれも良性の繊維腺腫と診断を受けている。
その時はそうだったかもしれない。
だが、このシコリは最終的にいびつに膨らみ、痛みを伴い、転移癌となる。
大腸がんからの乳転移。主治医の先生も始めてのケースと言っていた。
この話はだいぶ先にPET-CTを行なった時の追憶の時に詳しく書きたいと思う。
入院初日。とにかくこの時は、敵が増えなくて良かったと安堵したのだった。
広々とした個室。居心地はまずまずだった。

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