史上空前の追憶ブームを総括

追憶
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2017年に入って始めた事の一つに「食事療法」がある。
癌に効果がある物を探していると、必ずしも目に入ってくるいわゆる代替療法だ。
この食事療法を実践すると、「余命半年と言われた末期癌が完治!」「無治療で2年間再発無し!」などの歌い文句は良くみかける。

妻は治療当初、あまり抗がん剤治療についてその効果や種類などにあまり興味がなかった。
自分の中で癌という病に侵されたという事をまだ認められない部分があったようで、
「今度使う抗がん剤なんだけど。。」
「抗がん剤って私の前で言わないで!クスリって呼んでちょうだい。」
といった感じだった。

でも自暴自棄になっているかと思いきや、その逆で、病気を治すために本気で頑張ろうという意識は強く存在した。
食事療法は妻が色んな本を読み漁って情報を仕入れていた。それを今年から本格的に始めた。
実践した食事療法は済陽式食事療法が原型で、①「食べてはいけない物は絶対食べない」②「食べた方が良い物は大量に食べる」の2つを徹底する事だ。
①で食べてはいけない物は・米・小麦・牛肉・豚肉・酒・農薬が使われた野菜・加工水・卵(平飼いなら可)・鶏肉(少量なら可)・魚(少量なら可)・塩分(少量なら可)
②で積極的に食べる物は、・無農薬野菜
上記の物以外は適量を摂取。といった感じだ。

まず積極的に食べるべき無農薬野菜は、全てスロージューサーでジュースにする。
1日1.5リットルを摂取しなければいけない。0.5リットルを3回に分けて飲んだ。
無農薬野菜は高いので、ホタテパウダーで洗って農薬を洗い流してからジュースにした。
1日の消費量は、・にんじん6本・りんご1.5個・キャベツ1/4玉・レモン3個・グレープフルーツ1.5個・小松菜6束
最初は美味しくてまあまあ飲めるが、飽きてくると濃厚過ぎて吐きそうになってくる。とくに緑の野菜は癖が強くて副作用で吐き気がある時期は地獄だった。
ハチミツを混ぜて何とか対処した。

食べてはいけない物が多いのも辛い。
主食のご飯は全て玄米に、パスタやパンは全粒粉で作られた物だけを使用する。
最近はグルテンフリーの食材を扱っているスーパーも増えてきたので、調達するのはそこまで大変ではなかった。
限りなく無塩に近づけなければならないから、味付けも難しい。オリーブオイルやこしょうが中心となるが、味気なくて虚しくなる。
元々食いしん坊だった妻としては、生き地獄だった時期だと思う。
それでも生きていたかった。

とにかく三か月頑張ると誓った。三か月で体内のほとんど細胞は新陳代謝されるらしい。
この食生活で体質が変われば、癌も体内に居づらくなるに違いない。

3月にCT検査がある。そこで効果がどれほどなのかが分かる。
私もジュース作りや食材調達など、全力でサポートした。
辛そうな彼女を見ていてこっちも辛かったけど、ここでは心を鬼にしたのだった。

追憶の品格

2017年2月9日。
アバスチン+mFOLFOX6療法の5回目を開始する日。
今回は前日に盛岡の両親が駆け付けてくれた。
息子の嫁のお見舞いがてら、育児や家事などをサポートするためである。
私はまだ育児休業前だった事もあって、妻の両親に頼る時間が多く、お義母さんも体力的にかなり参っていたから、タイミング的にありがたかった。
盛岡の両親はこの後も、2カ月に一度くらい応援のため、東京に来てくれる。
2月のこの時期はJR東日本が提供する「大人の休日倶楽部」で、お得に新幹線が乗れる期間!
指定地域内であれば15,000円で4日間新幹線乗り放題!利用しない訳がない。
しかし、新幹線って何で料金こんなに高いんだろう。。。いつも思う。

肝心の妻だが、いつものように午後から病院にて治療を受け、夕食前くらいの時間に家に帰ってきた。
私はまだ引き継ぎ作業が忙しく、仕事で治療後の妻を迎えに行けない。。
でもこの時はもう3月頭から育児休業する事が決まっていた。早く来い来い3月!

私が仕事から帰って来た時は、妻は寝室で横になっていた。
妻に声をかけて大丈夫だと答えてくれた。少し倦怠感があるようだ。

しばらくリビングで盛岡の両親と子供達とくつろいでいると、寝室から声が聞こえた。
少し緊迫感のある声色。。
急いで寝室に向かった。
「どうした?」
「ああ。何かね。誰かがいる気がして!私に話しかけてくるの。」
だいぶ動揺している感じ。
「何て言ってきてるか分からないんだけど、私を脅迫してきている感じなのは確かだと思う。」
「大丈夫か。幻聴?って事だよね。」
「うん。これも副作用なのかな?」

妻とのやり取りの後、自分で調べてもみたし、主治医にも聞いてみたが、幻聴は副作用ではないとの事。
治療も5回目に来て、精神的に疲れと焦りが見えて来ていたのかもしれないし、盛岡の両親が来ているという、いつもと違う環境だった事も影響していたのかもしれない。
原因は不明だった。
でも幻聴が出たのは、これが最初で最後だった。
今考えるてみると、これがきっかけで、妻は治療で体調が悪くても、あまり寝室には行かなくなったかもしれない。
私が辛そうにしているの見て、寝室で休むように言っても。行かなかったり、行ってもすぐ戻ってきたり。
一人はやっぱり寂しかったよね。。
盛岡の両親と娘で公園遊び。妻はお留守番。いつも家族一緒だったのにな。。

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