追憶学概論

追憶
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究極の追憶

2016年12月6日。
この日は、J大学医院を退院後、初めてK病院に通院する日だった。
今日の会話で今後の抗がん剤治療の方針を決める。
具体的には、どの薬をどんな割合でいつから開始するか。治療効果をどのように判断するか。副作用の対策はどうするか。などなどを主治医のY先生と会話して決める。
今日はタイミングが悪い事に、引っ越しをしてしまう妻のママ友がいて、そのお別れの挨拶をしたいから、先に病院に行っててとの事だった。
まあ妻は体調も悪いし、待たされるのも辛いだろうなと思い、先に受付に診察券を出して待っていた。
すると、そんなに待たずして呼ばれた。どうやらVIP扱い、、というか超重病人なので、先に呼んでくれたんだと思う。
「妻は大事を取って家で待機してまして。」
と言うと、
「じゃあ旦那さんだけでも先にお話が」
と診察室に呼ばれた。

抗がん剤治療の方針は、後で妻が来てからにするとして、先に告げられたのはKRAS遺伝子の検査結果だった。
残念ながら。。変異あり。との事だった。
KRAS遺伝子に変異がある場合、効果が期待出来ないと言われている分子標的薬がある。
アービタックスやベクティビックスがそうで、事前に効果がないことが分かっている事は、無駄打ちせずに済むので、良いことではある。
しかし変異があると、使える武器が減る。
つまり、命を伸ばす手段が減るという事だ。
大腸癌治療ガイドラインによると、切実不能大腸癌はこのような分子標的薬の恩恵により、生存期間中央値が30カ月を超えるようになった、とある。
しかしこれはKRAS遺伝子が野生の場合。。
変異ありの場合はこの30カ月が22カ月になると、どこかで読んだ事がある。

とにかくショックだった。もちろん従来の抗がん剤は使えるし、唯一使える分子標的薬アバスチンもある。
まだ始めてないし、アービタックスやベクティビックス無しでも劇的な効果を得る事もあるだろう。
でもこのあがらう事が出来ない不運。「頑張ってもつまづいてしまう感」が、どうしても拭えなかった。

妻がようやく病院に到着した。
治療開始は12月15日。1stLineはFOLFOX+アバスチン。初回は1ドーズダウン。つまり2割減。アバスチンは2回目から。腫瘍マーカーは毎月。CTを3ヶ月に一回撮って効果を画像診断する。
以上で治療方針が確定した。

妻は毎日、腫瘍熱による高熱を出す。
ナイキサンである程度抑えることが出来ているが、この熱は癌が猛威を奮っている結果のように思えてならない。
早く癌を小さくしたい。
とりあえずは方針が決まった。
まだまだ闘いはこれから。

追憶は博愛主義の夢を見るか?

2016年11月15日入院2日目。告知から5日後。
精神的には二人ともだいぶおだやかな気持ちになっていた。とにかく早く治療を開始する!その一心で、やるべき事はやって早く入院出来たし、後は天に任せる、そんな気持ちだった。
手術日も決定した。11月24日。
病気を告げられたのは11月10日だから、約2週間待たされる事になる。
でも最初は12月になるよー、なんて言われてたから、だいぶ頑張って早めの調整が出来たのでは?
風向きはいい感じ。きっと良くなる。そう思えてならなかった。
でも問題は母親に会えなくて子供達が寂しがる事。そして妻が暇な事
でも大丈夫!今は距離が離れていても繋がれる時代!
入院翌日。早速朝一で向かったのは、家の近くのケーズデンキ。目的はノートパソコン購入とWiMAX契約のため。
J大学医院の病室はパソコン持ち込みOKだった。お見舞いに行けなくてもSkypeで会話も出来るし、ご飯も一緒に食べられる。
こちらに映し出すのは手持ちのスマホ(iPhone)だったが、スマホの画面をテレビに出力出来るケーブルを持っていたので、大画面に入院中の妻を写しながら寂しい夜を家族一緒に過ごしたりした。
娘は大喜び
会えなくて寂しい思いをしている方がいらゃしゃいましたら、おススメですよ!

ちなみに余談ですが、J大学医院は個室はwifiが完備されている事を後で知ったので、WiMAXはすぐ解約しました
あと最初はSkypeを使ってましたが、LINEのビデオ通話で十分だと分かり、結局入院の後半はスマホ間で写しながら過ごしてました。せっかくノートパソコン買ったのに

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