班長 ドリンク・メッセージ
忘れられない一言。
今朝、終戦の日ということもあり、
録画したNHKスペシャル『本土空襲 全記録』を観ていた。
小学生の頃、宿題で戦争体験を聞くという課題が出された。
父から戦時中のことを聞いたのは、このとき、たった一度きりのことだった。
大正14年生まれの父は、終戦を二十歳で迎えている。
戦時中は、特攻機のエンジンを作る工場に勤めていた。
父は、大正生まれの中では背も高いほうで173㎝あって、体育会系でかなり身体は丈夫なほうだった。
そんな父が、たった一度だけ、体調を崩して工場を休んだことがあったらしい…
休養明け、夜勤シフトで出勤すると、ある人から勤務を交代してくれと頼まれた。
普段ならば、その現場の班長でもあり、そんなことを頼まれることもない父が、そのときばかりは迷惑をかけていたので、仕方なく受け入れて家に帰ったらしい…
そして、次の朝、
工場は、空襲により、跡形も無くなっていたとのこと。
それを聞いて、とても、心がザワザワとしたのを覚えている。 その日、その時、父が勤務を交代していなかったら、私もこの世に存在していないことになるからだ…
で、訊いてみた
「そのとき、どう思ったの?」
間髪を入れず、父の応え
「いや、何とも思わなかった。」
それは、
子ども心にも、もう何も訊く必要はないと感じた、忘れられない一言だった。
その頃、死は日常だったのだろう…
班長を5文字で説明すると
定時で仕事あがり急いで帰って来ましたが
長男は駐屯地へ戻ったあとでした
今日はほんの少し寄っただけ
義母によると風邪ひいていた様子
明日からは3ヶ月の訓練のメイン演習
1週間富士演習場にて野外演習があるみたいで
そんな時に風邪ひいてるって
心配倍増です
外で寝たりするみたいな事言ってたし
今日は明日からの演習に向けて
駐屯地の班長さんが夕飯をみんなに
ご馳走してくださるらしく
早目に駐屯地に戻ったそうです
無事に長男の1週間が終わりますように
訓練乗り切れますように
長男に会えず、ガッカリしていた私を
旦那さんがウォーキングに誘ってくれました
30分、ウォーキング付き合ってくれて
ありがとー